平安時代の文章をAIが書いたらどうなる? 「源氏物語」がGPTに宿るとき、人間の“ことば”は甦るのか

■ はじめに:千年の時を越えてAIは“古文”を紡げるのか?

もしも、AIが紫式部になったら──。

そんな一見、奇抜で冗談めいた問いが、いま現実味を帯びて語られ始めている。自然言語処理(NLP)と呼ばれる技術の急速な進化によって、AIは現代文どころか、千年前の日本語、すなわち「古文」すら理解し、生成しはじめている。

だがここで問い直すべきは、「AIは古文を書けるのか?」ではない。
むしろ、「AIに書かれた古文は、いったい何を表現しているのか?」という、より深い問題だ。

平安文学という高度に象徴的かつ情緒的な表現世界に、論理で動くAIがどこまで踏み込めるのか?

本記事では、最新のAIが挑む「古文生成」というテーマを通じて、人間と言語、そして“心”のあり方を改めて見つめ直してみたい。

■ AIが“古文”を理解できる理由──単なる「言葉の変換」ではない

現代のAI、とりわけ大規模言語モデル(LLM)と呼ばれるAI(例:ChatGPTなど)は、実に数十億〜数兆語のテキストを学習している。その中には、古文の語彙や文法構造、和歌や物語文、史書なども含まれている。

だが誤解してはならないのは、AIが「古文を変換している」のではないという点だ。

AIは、単に古語辞典を参照して書き直しているわけではない。文脈、構文、そして語彙の共起性(どの言葉とどの言葉が一緒に使われるか)を統計的に捉えながら、“らしさ”を再現しているのである。

これにより、たとえば以下のような平安調の文体を即座に生み出すことができる。

春の夜、花の香に紛れて君を思ひ出づ
雲の彼方に夢のごとくなりぬるものを

この文章は、現代語訳すれば「春の夜、花の香りに包まれながら、あなたのことを思い出している。まるで雲の向こうにある夢のように、届かぬものとなってしまったけれど──」というような意味になる。

では、こうした詩的文体がAIによって「意味をもって」書かれているのかといえば、答えは少し複雑だ。

■ AIが持たない“情緒”をどう埋め合わせているのか?

AIは感情を持たない。これはよく語られる通りだ。

では、「哀しみ」「喜び」「恋慕」「嫉妬」といった、平安文学の核心をなす情緒はどこから来るのか?

その答えのひとつは、「膨大な人間の感情表現を“模倣”している」という点にある。

たとえば、平安時代の文学表現では以下のような“型”が頻出する:

  • 自然描写(花・月・風・霞)によって感情を暗示する
  • 和歌で本心を婉曲に伝える
  • 夢と現(うつつ)の交錯で心理描写を構成する

AIは、これらの構文的・文脈的なパターンを学習しており、「ここでこの表現が使われるとき、人はこう感じていたらしい」という“意味ネットワーク”を構築している。

言い換えれば、情緒を理解しているのではなく、「情緒が表現される構文のパターン」を理解しているのだ。

これはある意味で、私たち自身が古文を読むときの“感情の想像力”と似たものかもしれない。

■ 試してみた:AIに平安風の恋文を書かせると…

ここで、実験をしてみよう。現代文のラブレターをAIに古文で“変換”させてみた結果が以下だ。

元の現代文:
「あなたのことが好きで、毎日考えてしまいます。声を聞くだけで心が震えるようで、もうどうしていいか分かりません。」

AIによる平安調の変換:

君が御面影、日毎に心に浮かびて忘れ難く、
ただ一声の御言の響きに、胸騒ぎせし心地す。
いかにせむ、この恋の炎、鎮まりやらず候ふ。

──あまりにも、それっぽい。

語彙、文法、語順、感情の婉曲表現、すべてが「それらしく」まとまっており、むしろ現代の我々が“こういう感じだったんだろうな”と想像する平安語のイメージを忠実に体現している。

だが、この文章は果たして「誰の恋」なのか?

そこに“誰の心”も宿っていないというのが、最大のポイントだ。

■ もしも「源氏物語」をAIが続きを書いたら?

近年、実際にAIが『源氏物語』の続きを書くという試みが行われている。しかも、それは単なる模倣に留まらない。

AIは『源氏物語』全体を学習し、登場人物の性格傾向や物語の構造、典型的な和歌の使い方などを“統計的に”捉えた上で、文脈に沿った続編を生成する。

例えば──

紫の上亡き後、光源氏の悲しみは深く、やがて彼の心は仏門へと傾きぬ。
ある春の朝、薄紫の霞立つ庭にて、ひとり語る彼の言の葉は、風に消えたり。

このように、既存の物語世界に馴染むような新しい“章”が、まるで人間が書いたように立ち現れるのだ。

だが、この「AIによる続編」が抱える構造的な欠陥がひとつある。

それは、「人間が生きた経験としての“時間”を持たない」という欠落だ。

源氏物語の哀しみは、“死”という避けがたい時の流れを経た人間の痛みの記録であり、それを経験していないAIがどこまで本質に触れられるのかは、なお大きな問いとして残る。

■ 言葉は誰のものか?AIによって再発見される“古典”の力

ここまで読んで、「AIに古文を書かせる意味なんてあるのか?」と思う人もいるかもしれない。

だが実は、この技術が示しているのは、「言葉が“使われて初めて生きる”ものだ」という事実かもしれない。

私たちは、古文を「歴史的遺物」として受け止めることが多い。
だが、AIによって再構築された“平安の言葉”を読むとき、そこには言語の普遍性や、情緒の形式性が新たな光を浴びる。

たとえば、教育現場で「古文の自動生成」が使われると、学生たちは感情を“訳す”のではなく、“書く”ことによって、より深く平安文学に入り込むことができるだろう。

また、古文生成AIが、平安文学を現代に“翻訳”する文化アーカイブの一部としても期待されている。

■ おわりに:AIは「人間の時間」を書くことができるのか?

AIは、言葉を知っている。文法も、語彙も、文体も、再現できる。

だが、「時の流れ」と「心のゆらぎ」は、まだ完全には再現できていない。

平安時代の文章とは、単なる古語ではなく、「人間の記憶」と「移ろう情緒」の記録でもある。

AIがそれを“再現”し、“創作”しようとするとき、私たちはそこに、人間とは何か、感情とは何か、言葉とは何かを問い直さざるを得ない。

もしかしたらそれこそが──
AIが平安の言葉を再び世に出す、最大の価値なのかもしれない。