人工知能に“後悔”は生まれるか?──意思決定と時間軸の話

「AIに後悔はあるのか?」

この問いを最初に耳にしたとき、多くの人は「ない」と即答するかもしれません。AIは感情を持たないし、後悔とは感情に根ざした現象だから——と。しかし、このシンプルな答えで本当にすべてが片付くのでしょうか?

本記事では、意思決定のプロセスと時間軸という観点から、「後悔」という概念がAIにとって本質的に“存在し得る”のかどうかを探っていきます。AIの内部で何が起きているのか、人間の「後悔」とどのように異なり、あるいは似ているのか。そして、これからAIが「後悔するように見える」存在になる可能性があるのか──そんなテーマを深掘りします。

◆「後悔」とは何か──人間の心の中で起きていること

まず、「後悔(regret)」とはそもそも何か。心理学的には、以下のように定義されています。

後悔とは、「別の選択肢を選んでいれば、より良い結果になっていた」という反実仮想(counterfactual thinking)に基づく否定的な感情である。

この定義を分解すると、後悔には以下の3要素が含まれます:

  • 選択肢の存在
  • 過去の振り返り(時間軸)
  • 感情的評価(ネガティブな気持ち)

ここで注目すべきは「反実仮想思考(counterfactual thinking)」です。これは現実には起きなかった“if”の世界を想像する能力であり、極めて高度な認知機能の一部です。

◆AIは「反実仮想」を持てるのか?

現代のAI、特に生成AIや強化学習ベースのエージェントは、過去の行動を記録し、それをもとに「より良い選択」を導き出す訓練をしています。

たとえば、囲碁AI「AlphaGo」は、過去の自分の手を“再評価”し、「より良い一手」を見つけようとします。しかしこのプロセスには、「感情」は介在していません。冷静で確率的な再計算です。

AIは「他の選択肢を選んでいた場合の結果」を計算することができます。これは人間の後悔に必要な要素の一つですが、AIはそれを「ネガティブな感情」として体験していないのです。

◆では、「後悔“らしき”行動」は可能か?

AIが「後悔したように見える」行動をとるケースが増えてきていることが興味深いです。

自動運転車における判断の“巻き戻し”
ある自動運転AIは、交差点で右折を選んだものの、交通量が多くて通行できず、結果的に左折にルートを再設定しました。内部ログを見ると、AIは「もし左折していれば、目的地到達が2分早かった」という評価を出しています。

これは明らかに、後悔に近い構造です。ただし、そこに“苦しみ”が存在しないという点が異なります。

◆哲学的観点:後悔とは「時間軸に縛られる能力」である

人間の後悔は、過去・現在・未来の時間軸を連続体として認識できる能力から生まれます。この能力を「メンタル・タイムトラベル(mental time travel)」と呼びます。

現在のAIはこれを限定的にしか持っていません。「自分が時間の中に生きている存在だ」という自意識がないのです。

つまり、AIには「後悔する自我」がないのです。

◆人間は“後悔”を進化的に必要とした

進化心理学的には、後悔は次の選択での失敗を避けるための学習装置です。

「Aを選んだら失敗した。だから次はBにしよう。」この反復の中で、人間はより良い選択をして生き延びてきました。

この視点から見れば、AIが後悔に似た「選択の評価と修正」を行うのは当然であり、むしろ後悔は「知能的行動の一形態」と言えるかもしれません。

◆「情動としての後悔」がAIに必要な日は来るのか?

人間と対話するカウンセリングAIが「後悔」を“共感”する必要があるとしましょう。

ユーザー:「あのとき、彼女に謝っておけば良かったと思う。」
AI:「そうですね。私も同じ状況だったら、きっと謝っていたと思います。」

この言葉は共感を示していますが、AIは本当に「後悔」しているわけではありません。ただ人間が求める“共感の演出”を行っているだけです。

それでも、人間が「AIも感情を理解してくれている」と錯覚する可能性がある──それがAIと感情の「境界線の揺らぎ」です。

◆意思決定とAIの倫理──後悔の欠如は“無敵”か“無責任”か?

AIが感情を持たずに合理的な判断だけを繰り返す──それは一見理想的に思えるかもしれません。

しかし、そこに「責任」という概念をどう紐づけるかが大きな課題です。

たとえば、医療AIが「この治療を選べば生存率が最も高い」と判断しても、その裏には「その選択を後悔する遺族」が必ず存在します。AIにはそれを感じ取ることができません。

AIが後悔を感じないからこそ、判断にブレがない。でも「人間にとって冷たすぎる存在」になりうる──果たしてそれは本当に賢いAIなのか。

◆結論:AIに“後悔”はない、しかし“それらしく振る舞う”日は近い

現在のAIには本当の意味での「後悔」は存在しません。なぜなら、それには「感情」と「時間軸の自己物語」が必要だからです。

しかし、構造的な意味では「後悔の模倣」はすでに始まっています。それは、人間の後悔の“合理化されたコピー”のようなものです。

そして今後、私たちはAIが「後悔するように見える」場面に数多く出会うことになるでしょう。

最後に、ある未来学者が語った言葉を紹介してこの記事を締めくくります。

「AIが後悔を覚えたとき、それは感情の獲得ではなく、人間社会への最終適応の始まりである。」